格言 Proverb【じんのすけ×だいまじん】jinon.com

甚ちゃんの馬主仲間?企画屋孝太郎さんのページです。
企画制作会社を経営する孝太郎氏が元来の“ことわざ”や“格言”を
現代風に独自の視点でおもしろおかしくアレンジしてくれます。
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いつまでも 役にたつと思うな 昔とった杵柄

 若いころに身につけた技術や能力は、年月を経ても衰えないという意味の「昔とった杵柄」。確かに不変の価値を持つ技術や能力もありますが、ほとんどの場合は時代の変化と共に進化し、今では役にたたないことに気が付かない人が多いようですね。いるんじゃないですか?、皆さんの回りにも。「オレの若い頃は」とか「昔はねえ〜」とか、過去の自慢話しばかりする人。でもね、肝心なのは現在、そして将来。昔は昔、今は今…なんですから。でも、年功序列制度が破壊し、成果主義になりつつある現在、時代の変化を認めたくない昔世代の人の気持ち、わかりますけどね。
 広告の企画制作の世界にパソコンが導入されたのをキッカケに、ボクは仕事の最前線の座を後輩に譲りました。パソコンを好きで楽しみながら使いこなす人と、頑張ってなんとか使いこなすボクとでは、対当には戦えませんよ。その場で話すことは経験の差で勝てても、頭の中にあるものを表現するときにその差が出ます。そして、その差が勝負を決めることも知っていましたから。ボクは負けるとわかっている勝負は戦わない主義なもので。ハイ。
 「いつまでも現役で活躍していたいな〜と思うなら、毎日が勉強なんですね」とじんちゃんが言う。彼はそれを実践している。お笑い芸人には珍しく、人の話を良く聞くし、新しい自分を表現できるステージへも積極的に取組んでいる。それに比べてボクは…な〜んてね、反省しているフリをしながら、探しているんですよ。今のまんまのボクでも通用するビジネスチャンスを。これが結構あるんだよな〜。おじさん世代はしぶといのだ。しぶといついでに、インフォメーション。企画屋孝太郎の「起承転・転・転」というタイトルでブログに初挑戦する予定です。予定という言葉で逃げを打つのも、おじさん世代の特徴なのです。だから、ボツっても怒らないで下さい。ハイ。



溺れる者よ、藁では無理だ。危急な時こそ冷静に

 溺れたときには頼りにならない藁でも掴んで助かろうとすることから、危急の際は頼りにならないものでもすがりつくという意味の「溺れる者は藁をも掴む」が元の句なんだけど、いくらなんでも藁を頼るようでは、助かるものも助かりません。厳しい時代ですからね、危急のときにこそ冷静に判断する心の余裕は持ちたいものです。とは言うものの、ボク自身は何の下準備もせずに大切な場に望みその場を凌ぐ、成りゆき任せタイプ。幸か不幸か、それでもそれなりの成果を出し続け、準備不足を反省する機会はなかったんだけどね。
 「あらゆる場面を想定し準備をして、冷静に対応する人が勝つ…と、ボクに言いましたよね?」とじんちゃんが言う。確かに言いました。普通はそうなんですから。でもボクの場合は、喜びも悲しみも、楽しみも苦しみも、ぜ〜んぶ神様のセイにして楽しんでしまうという性格の持ち主なのです。辛い事があると「世の中そんなに甘くはないよ…と、神様がボクを試している」と思い、楽しい事があると「良く頑張ったね…と、神様が御褒美をくれた」と思い、「なんとかなるさ」を口癖に、苦楽をゲーム感覚で楽しんで生きてきました。でも、こんな生き方、人には勧められないよね。とは言うものの、「なんとかなるさ」と言い続けていると、本当になんとかなるから不思議なんですよ、世の中は。で、ボクの本音は…/『溺れる者よ、なんとか凌げ。その気になれば、なんとかなるぞ』



捕らぬ狸の皮算用。夢見て幸せ、捕らえたらさらに幸せ

 狸を捕まえていないのに、その皮を売った儲けを計算するという意味から、不確定なことを当てにして計画をたてることの例えの「捕らぬ狸の皮算用」。でもね、捕らえるつもりで出かけるんだから、捕らえられなかったことを想像するより、儲けた後のことを夢見るのも楽しいと思うけどな〜。ヤル気にもつながるしね。そのくらいお気軽気分で取組めば、一匹捕らえるつもりが、もしかして二匹・三匹…な〜んて、それこそ捕らぬ狸か?。
 <捕らぬ狸の皮算用>の典型的なパターンが芸能界。売れれば天国、売れなきゃ地獄。それなのに、聞かされる話は「必ず売れますよ」「一発当てます」「ヒット間違いなし」のオンパレード。まあ、ほとんどは夢で終わるんだけど、中にはいるんですよ<下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる>じゃないけれど、まぐれで大当たりしちゃった例が。ボクの友達にもいるからな〜。何で売れたのか未だに解らないけど、一夜でスターになった奴が…。
 「夢のない人生なんて、つまんないですよ」とじんちゃんが言う。夢は追いかけているうちは夢だけど、あきらめたら夢は消えちゃうもんね。そんなじんちゃんの夢は、お年寄りの人たちに愛されるお笑い芸人になることらしい。ボクの夢は、中味はともかく数だけは多い。年を重ねるごとにドンドン増えてくる。飲み会で、じんちゃんにその一部を熱く語っていたら、「それは願望をズラ〜と並べただけじゃないですか?」と言われた。そうか、どうりで他の人と比べて夢の数が多いと思った。じゃあ、ボクの夢って…なんだ?。



老いたら子に従うから、今は親に従え

 その通りと言う人はきっと御年配の方で、冗談じゃないよと言う人は若者だと思います。確かに子を持つ親に都合の良いことわざですが、親父世代よ頑張れという励ましのエールですから、ゴメンナサイ。元の句は、年老いたら子供の言うことに従ったほうが良いという『老いては子に従え』記憶が確かなら、女性を対象にした仏教の教えだったと思うけど、年をとるということは、そういうことなんですかね。あ〜、嫌だ嫌だ。ボクは年老いても子に従う気なんてありませんよ。年をとってボケてしまったら?なんて聞かないで下さい。自信を持って宣言します。これだけ不摂生な生活をしているんですから、そこまで長生きは出来ないし、する気もありません。最後の最後までボクらしく勝手気侭に生きると決めているんですから。
 「子供だから、大人だからとか言うけど、自分の意志で行動ができ、その行動の責任がとれるなら、子供も大人も関係ないですよね?」とじんちゃんが言う。同感です。ついでに年老いた人も…と、付け加えて下さい。しっかりした子供もいるし、だらしのない大人もいます。年老いた人にもしっかりした人もいれば、ボケてしまう人もいます。ある極端な一例を出してあれこれ言うより、シンプルに考えましょうよ。自己責任です。自己責任がとれない子供や大人や年寄りの場合は…?。あれ?。やっぱり守るのも頼るのも家族になるのかな?。ヤバイ。家族を大切にしなくちゃ…なんてね。今さら、遅いってか?。だったら、自己責任でグレちゃいましょうか?、お父さん。



十でネクラ、十五でオタク、二十過ぎたら時代の寵児

 小さい頃は秀才と思われた子も、成長すると共に、普通の人になることが多い…という例えの「十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人」が元の句。ボクが子供の頃のヒーローは、勉強ができる子かスポーツができる子と決まっていました。才能を発揮する機会は、それしかなかったからなんでしょうね。今は違います。ゲーム・パソコン・アニメをはじめ、ゴルフやテニスなど、ボクたちが子供の頃には考えもつかなかったジャンルのステージで、大人顔負けの才能を発揮する子供達が増えてきています。みなさんの回りにもいるんじゃないですか?。未来の大物のタマゴたちが…。
 時代の寵児と呼ばれ、マスコミを賑やかしているある方に聞いた話しですが、子供の頃は俗に言うオタクで、友達が少なかったらしいですよ。だったら、未来の大物とマブダチになれるチャンスかも。でも、二十過ぎても只のオタク…という場合もありますけどね。
 ボクが友達を選ぶ基準は、ボクとは違う価値観を持っている人。その人への好奇心から始まり、それが尊敬に変わり、友達になりたい…と変化するのです。じんちゃんともそんなプロセスを経て友達になりました。じんちゃんの魅力を一言で言うなら、芸人らしくない芸人。まだ発揮されていない魅力が、いっぱい隠されているような気がしたのです。まだまだ進化する人だと思うんですけどね。ちなみにボクも進化続行中。その証拠に、好奇心の対象が年々変化しているのです。世の中にはボクの知らない面白いことが、まだまだたくさんありそう。退屈なんかしている暇はありません。な〜んて言いながら、気力を振るい立たせていないと、ただのおじさんに成り下がりそうな、難しい年頃なのです。ボケてる暇は、ナイナイ探検隊。フォ〜。